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日出ずる国のエラーコラム


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日出ずる国のエラーコラム[総集編]
No.1 香久山は「弓の形の山」だ!風土記は後世の人々を騙すためのデタラメが満載!
■香久山/香具山(大和国)※弓の形の山。
<伊予国風土記逸文>(『日本書紀纂疏』) 「風土記によると、天上に山があったという。分かれて地に落ち、一つは伊予国の天山となり、もう一つは大和国の香具山となった。」
<阿波国風土記逸文>(『万葉集註釈』) 「阿波国風土記の場合は、空から天降ってきた山の大きな方は、阿波国に降ったアマノモト山という。その山が砕けて、大和国に降り着いた山を天香具山というと書いてある。」

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■香山(かぐやま)里(播磨国)(兵庫県たつの市新宮町香山)※弓の形の山。
<播磨国風土記>「本の名は、鹿来墓(かぐはか)である。<中略>伊和大神が国占めした時、鹿が来て山の峰に立った。山の峰も墓に似ていた。だから、鹿来墓と名づけた。その後、道守臣(ちもりのおみ)が宰(みこともち)だった時になって、名を改めて香山とした。」
■鏡山(豊前国)(香春岳/福岡県田川郡香春町)※弓の形の山。三ノ岳別名、天香山。
<豊前国風土記逸文>(『万葉集註釈』)「豊前国風土記にいう。田河郡。鏡山。郡の東にある。昔、気長足姫尊(神功皇后)が この山にいて、遥かに国の形を見て、勅してうけいを行った。『天神(あまつかみ)も地祇(くにつかみ)も我がために福(さきわ)へ給え』と仰った。すると、御鏡を持って、ここに安置なさった。その鏡は、石となって今も山の中にある。よって名づけて鏡山という。」
■鏡坂(豊後国)(大分県日田市上野)※弓の形の山。
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ・サン・ケ」=「形が・弓の・頂の・出崎の・ところ」
<豊後国風土記>「景行天皇が、この坂の上に上り、国の形をご覧になり、『この国の形は鏡の面に似ている』と言った。よって鏡坂という。」 ■鏡渡(鏡山)(肥前国)(佐賀県唐津市鏡山)※弓の形の山。
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ・ウン・ワッタ」=「形が・弓の・頂・が(orに)ある・淵」
<肥前国風土記>「昔、宣化天皇の世、大伴狭手彦(おおとものさでひこ)連を遣わして、任那国を鎮め、また、百済国を救った。大伴狭手彦は命を受けてやって来て、この村に到った。篠原村の弟日女子(おとひめこ)と妻問婚した。日下部君らの祖である。弟日女子はとても容貌が美しい女性であった。狭手彦は別れる日に弟日女子に鏡を与えた。弟日女子は悲しみ泣きながら栗川を渡ったが、そのとき、鏡の紐が切れて川に沈んでしまった。よって鏡渡と名付けられた。」 ■隠れ里の稲荷(鎌倉)(神奈川県鎌倉市佐助)※弓の形の山。
◎縄文語: 「カッ・ク・ネ・テューテュ」=「形が・弓・である・岬」
<佐助稲荷神社由緒>「伊豆の北条政子のもとで病に臥していた源頼朝の夢枕に『かくれ里の稲荷』という翁が立ち、平家討伐の挙兵を促した」
■各務(原)(岐阜県)※弓の形の山。
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ」=「形が・弓の・頂」
■加賀美(旧加々美荘/山梨県)※弓の形の山。加賀美地区近隣から南アルプスを望む。「各務ヶ原の各務氏が移住したため各務、鏡の地名がおこり、のち加賀美と書かれるようになった」という説がありますが、この類の漢字表記に結びつけた説はすべて検証し直した方がいいのではないでしょうか。
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ」=「形が・弓の・頂」
■鶴来ヶ丘(常陸国)(茨城県鹿嶋市緑ヶ丘)※弓の形の山に築かれた古墳。
◎縄文語: 「カッ・ク・ラィイ」=「形が・弓の・死んでいるところ」=弓形の山の墓のあるところ
■鏡山(広島県東広島市)※鏡山には大内氏の鏡山城跡があります。
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ」=「形が・弓の・頂」
■鏡塚古墳(石清尾山古墳群)(香川県高松市/古墳時代前期/積石塚の双方中円墳) ※弓の形の山に築かれた古墳。
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ・テュ」=「形が・弓の・頂の・小山」
■小熊山古墳(大分県杵築市/3世紀後半~4世紀初頭/前方後円墳)※弓の形の山に築かれた古墳。
◎縄文語:「カッ・ク・ムィェ・ヤマ」=「形が・弓の・頂の・山」
カクメ石古墳(福岡県飯塚市/古墳時代中期~後期/円墳)※弓の形の山に築かれた古墳。
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ・シリ」=「形が・弓の・頂の・山」
■柄鏡塚古墳(福井県福井市)※弓の形の山に築かれた古墳。
◎縄文語:「エ・カッ・ク・ムィェ」=「頭の・形が・弓の・頂」 ■カグツチ(京都市愛宕山と小倉山の地勢)※弓の形の山。
◎縄文語: 「カッ・ク・テューテュ」=「形が・弓の・出崎」 ※次の回で詳説します。

▼目次
第一部 「縄文語と上代日本語の隠された境界線」
【百済系敏達天皇で王朝交代!蘇我氏本家を滅ぼし、大化の改新は言語まで変えた!】
第二部 「記紀、風土記のウソを徹底的に暴く」
【No.1】香久山は「弓の形の山」だ!風土記は後世の人々を騙すためのデタラメが満載!
【No.2】愛宕山は「ぽつんと離れた山」の意!「カグツチ」という火の神などいない!
【No.3】住吉三神は「六甲山の自然崇拝」。海の神ではない!
【No.4】仲哀天皇偽陵の「五色塚古墳」は「岩崖の墓」の意だ!
【No.5】「処女塚」も「求女塚」も悲恋物語とは関係ない!「砂浜の入り江の古墳」の意だ!
【No.6】「因幡の白兎」も大ウソこじつけ物語!「将軍塚」に将軍は眠らない!
【No.7】「稲荷神」「狐」もデタラメ!お揚げをお供えしても無駄!
【No.8】「八雲立つ出雲」は「先住民の入り江」!宮崎の巨大古墳「弥五郎塚」は「先住民の墓」!
【No.9】「八幡大神」などいない!八幡と富士見は同語源の「川端」!「富士山が見える」のは偶然だ!
【No.10】「羽衣」は単なる「岬の頭」!「羽衣伝説」は縄文語に渡来系物語が便乗しただけだ!
【No.11】「天日槍」は新羅から来ていない!城崎温泉から来ただけだ!
【No.12】本当に「高麗」に高麗人が移り住んだのか?全国の「高麗」の地勢は「湾曲した川」だ!
【No.13】「甲斐の黒駒」は本当に馬か?全国の「黒駒」の地勢は「山裾の湾曲した川」だ!
【No.14】「百済」は「川や湾の入口」の意!風土記はしゃあしゃあとウソをつく!
【No.15】ウソつき神様大集合!天照、事代主、八幡、稲荷、住吉、金刀比羅のデタラメを暴く!
【No.16】地名の八王子も王子信仰もウソっぱち!牛頭天王も縄文語の地名に空想物語が便乗しただけ!
【No.17】旧国名はデタラメ由来だらけ!常陸、総、伊豆、駿河、尾張、伊勢、伊賀、摂津、豊、筑紫、肥、日向、風土記は悪意に満ちた大ウソつきだ!
【No.18】「椀貸」は「岸の外れ」の意!椀貸塚古墳は「椀」を貸してはくれない!
【No.19】「造山」「作山」は「自然地形を利用した古墳」の意だ!「作石」の石の宝殿は「あの世への入口」だ!
【No.20】「銚子塚古墳」は「中くぼみの山」で「前方後円墳」の意!酒器の「銚子」とは似ても似つかない!
【No.21】まんじゅう、松、馬、万、升、窓、古墳も地名もすべて「マーテュ=波打ち際」の意!風土記に騙されてはいけない!
【No.22】楯縫は楯を作っていない!「こちらの湿地」の意だ!
【No.23】「日置」は「山裾」の意、「日置部=砂鉄の生産地」ではない!
【No.24】「金鶏伝説」のデタラメを暴く!「金の鶏」など埋めていない!
【No.25】「薬師如来」も縄文語に便乗しただけ!全国の「薬師」は「岸の末端」だ!
【No.26】「荒川」は「荒れる川」ではない!「タマ川」と同義、「一方の川」の意だ!

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